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立秋の新月

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陽の極み

 

 

8月の新月の季節は、

深い霧がまとわりつくように立ち込める頃。

明け方の霧がかった静寂の時間はなんとも情緒的です。
朝霧が秋の始まりを告げています。

 

 

 

溶ける暑さの中で、ふとした瞬間に涼しさを感じる。

暑さが極まるからこその感覚です。

 

 

暑さが極まるときは一瞬です。

絶頂が来たと思った瞬間に、すでに次の何かが始まっている。

時は、とめどなく移ろう。

過去、現在、未来における

「たった今」この瞬間の尊さ。

 

 

この瞬間から未来へ

 

(生と死は紙一重で、仮に半々で存在するとしたら、)

大事な今を精一杯生きながら

50%の確率でやってくる未来に向けて

自分の為、誰かの為、世界の為に考え行動する。

 

・今を生き切る

・未来に向けて着実に進む

 

分かりやすく例えると、

・「睡眠時間、食事を削っても動けるうちに、美しいうちに、今やるべきことに没頭する」

・「年をとっても若々しく美しく、健康でいるために規則正しい生活リズムを整える」

このちょうど良い落としどころを最近ずっと考えています。

 

 

寿命は決まっている?

週刊現代のオンライン記事にこんな記事がありました。

「ヒトの寿命は決まっている」

 

 

人の死を何千人とみてきた医師でさえ、

最先端の医療技術をもってしても、

人の死は運命的に決まっている。

”天命”があるという結論に至ったとありました

 

 

「長生きしたいというのは、誰もが抱く願いかもしれない。だからこそ、病気になれば治療を受けるし、長生きするために健康に気をつけたりする。

だが、寿命を人工的に延ばそうとすることでひずみが生じるのもまた事実。そうであるなら、「運命」を受け入れるのも一つの選択肢ではないだろうか。」

 

 

更に記事の中で、

16世紀に活躍したドイツの神学者ルターの言葉が出てきます。

『明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植える』と。

 

たとえ寿命が明日尽きるとしても、

次の世代のためにこれをしよう!と思えれば、

寿命とうまく向き合うことができるのでは。

そうすると究極的には、

寿命は一つの通過点になる。

死ぬことですべてが終わるわけではなくなるのです。

(週刊現代〔不安にこたえる「寿命」の研究 それは初めから決まっているんです〕)

寿命という運命

生き急ぐことも、マイペースに生くことも、

結局はその人の生き方で、そのまま運命なのです。

私は努力で生き方を変え、

運命を方向転換し寿命だって伸ばせると考えていますが、

 

ある意味では、努力によって運命を微調整しながら、

より納得のいく濃い寿命を全うする、

ということをしているのかもしれません。

 

 

より自分らしい心地よい生き方をするための第一歩。

あなたは新月に何を願いましたか?

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